沖縄の寅さんの初恋

沖縄の寅さんこと彦さんにも、初恋はあった・・・・・・
同じ小学校の同級生で、おかっぱ頭の小柄の可愛い女の子だったと聞く・・・・・
その子は走りも早く、歌も上手で結構男の子に人気があったようだ。
私にも経験があるが、好きな子にはやさしく出来ずに、むしろいじめてしまうものだ。
彦さんも同様、その子を学校帰りに待ち伏せ突然飛び出しては、両手を広げて行く手を阻み、
篠竹を持ち脅かしながら悪態をついていたようだ。
そんなことが続き、中学生になっても、今で言うストーカーの様にその子に付きまとったため、
その子は恐怖心を感じるようになり、終にはその子の母親が知ることになって
おおごとになりかけたのである。
その母親から相談を受けたのが、村の青年団ではちょっと頼りになる兄貴分的な存在
であった妻の兄であり、その話を聞くやいなや、俺に任せろと言わんばかりに飛び出し
彦さんの家に向かったのである。
兄は、裕次郎刈りの頭で背も高く、胸毛びっしりの見るからに腕力がありそうな男であった。
妻は言う、裕次郎にそっくりだったのよ・・・・・・
私から言い直そう裕次郎みたいにかっこ良かったと・・・・

この後の話は、私の想像による部分が多分に含まれる・・・・・聞いて確かめたくも兄は
もうこの世にいない。
大声で・・・・ヒコいるか・・・・
出てきた彦さんの首根っこを引っ掴み家からひっぱり出し、
二、三発ぶん殴り、震え上がる彦さんを正座させ、説教したのであろう・・・・
当時、彦さん年齢14、5であったろうか・・・・・・
思春期真っ盛り、学業も儘ならなかった彼は、馬鹿にされたり、腕力のある者からは、
いじめもあったであろう・・・・どうにもならない苛立ちやさまざまの思いが、彼の心に
渦巻いていたでのはなかろうか・・・・・
ストーカーは然る事ながら、家庭内暴力や悪事に迄手を染めかけていたと聞く・・・・・
兄は言い方はぶっきらぼうで怖い感じはしたが、言った後の行為は暖かく
情がある兄貴と、私は何度も思った記憶がある。
沖縄でバー街に一緒に飲みに行き、ごう沈した兄とタクシーで帰り、私がタクシー代を払うと
兄に酔眼で睨まれ、何で払うか・・・と怒られた。俺が飲みに連れて行ったのだ、すべての払いは
俺がする、余分なことはするなと言わんばかりであった。
そんな親分肌の兄貴でもあった。
そんな兄は、脅える彦さんを懇々と諭し、困ったことがあれば俺に言え、今後お前のめんどうは
俺がみるとでも言ったのでは・・・・・と私は信じている。
父親からいずれ引き継ぐ農地を、兄は有効に利用しパインやサトウキビを栽培、又、街路樹や
庭木を苗から育成した。海洋博が後に控えていたからでもある。
働き者の兄は、一千万近いダンプを購入しサトウキビ畑から製糖工場への運搬も請負った。
兄はそんな農作業やサトウキビの搬送を、中学を卒業した彦さんに手伝わせたのである。
汗を流して金を得る事を教えたのである。
極端な言い方になるが、彦さんは兄を慕い頼りにしながら、真っ当な人間になって行ったのである。
兄が、そこまで彦さんの面倒をみたのは、ほかにも理由があった・・・・
村役場勤務の美人で気立ての良い妹がいたからである。
彦さんの家に出入りするうちに、彦さんの妹と兄は、ごく自然にお互い好意を持ち合い、
当然の様に恋に落ちたのである。
妻の実家は土地持ちで、村では裕福な家庭と位置付けられていたようで、彦さんの家でも反対は
無く、周囲から祝福されて、二人は盛大な結婚式を挙げたのである。
兄は、義弟になった彦さんの助けのもと、益々仕事に精を出し、財産を増やしながら、
人助けも多いにした様である。
そんな兄を襲った突然の死、告別式には千人以上の人々が別れを惜しんだ。
私と彦さんは、この様な次第で最も近い親戚になったのである。
兄は、あの世で彦さんのことを、今も気にかけているに違いない・・・・・
大型のユンボを買い、彦さんと始めた所有地の崖の補修工事も中断のまま・・・・・
彦さんの現金収入にと始めたと思われる、イノブタ飼育、兄が亡くなってから生まれた子豚
8頭、総数30頭近く彦さん一人で面倒見ている・・・その中に本物のイノシシ2頭・・・・
どうする兄貴・・・・・
私が老体に鞭打って手伝いにとも思うが、当方の仕事もまだ現役・・・・・・
若い跡取りが、彦さんと頑張るであろうことを願うしかない。
私が沖縄を訪れ彦さんとの再会を喜び合うのを見ている時の、兄の優しい目が思い出されてならない。

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# by inagaki_sokuryou | 2009-06-18 18:17  

 愛すべき彦さん


彦さんとの思い出はいろいろ有るが・・・・
季節は今頃であったろうか、私達夫婦と息子達家族で沖縄を訪れた時の思い出
の一幕・・・・・
彦さん、投網もなかなかの腕と聞いてはいたが、
沖縄のビーチで、たまたま彦さんの腕前を見せてもらえるチャンスがおとずれた。
私達は、早朝バケツ持参で今や遅しと待った。
彦さん、待ち合わせの時間に少々遅れ気味に、投網片手に照れ笑いを浮かべながら、
浜辺に現れた・・・
浜昼顔のつるが途切れる、少々高めの砂浜に立ち止まり、彦さん目線を海の方向
に落とす・・・・ じっと見つめる・・・今日は、魚の姿が見えないな、そんな意味合い
に聞こえる方言で呟きながら、丁寧に海面を探るように見回す、波打ち際周辺を
くまなく探す、右、左へ、丁寧に・・・・・
どの位の時間が過ぎただろう
突然、彦さんが海に向かって走り出した、 背中を丸め前かがみに、なかなか
俊敏な動きだ
私達も、後を追う 走る 走る・・・・・
波打ち際まで来ると、彦さん私達を制した、私は立ち止まり棒立ちのまま
彦さんの目線を追い、海面に目を走らせる。
彦さん、海に入った、肉食動物が獲物を狙うような忍び足、低い姿勢で抜き足
差し足、海の中へ進む、膝頭が沈む程度のところで立ち止まる、
鋭い目付きだ・・・・
私も、彼の視線を追う、
すると、前方が急にスコールでも突然降り出したかのように、海面がさざなみをたてた
さわさわと波立ち帯状になり、さーと波打ち際に寄るかと思うとくびすを返して遠ざかる、
小魚の群が、波打ち際を舞っているのだ・・・・・
彦さん動かず  時々投網を持つ手に力が入る
さざ波は、彦さんを嘲笑うように、近づいては離れる、右から左へ、左から右へ、くるっと
半円を描いては遠ざかる・・・・
彦さんの目が 追う 追う     如何ほどの時間たったであろう
彦さんの足元が、突然ふらつき始めた   足元が危ない  うしろによろめいた
彦さん なんと目が回ったようだ  危ない 危ない・・・・・・・
しかし ウチナンチューの底力、彦さん 踏みとどまった
またしても、 目の前に小魚の群、 彦さんすかさず網を後方に振り上げ、 投げた・・・・・
一瞬、小魚の群が早かった、
帯状の群の後方をかすめて、投網が舞った、見事な円弧を描きながら海面に被いかぶさる。
お見事 彦さん・・・・彦さん投網をしぼり、にやっと笑みを浮かべながら浜に上がる。
私達は、駆け寄り彦さんの手元見つめる、
投網を端から開く  うーん  残念ながら 掛かったのは数匹だ・・・・・
この日は魚影が少なかった、何回か投網を打つうちに、帯状の小魚の群はすっかり
姿を消した。 それでもバケツには小魚が、かなりの数跳ねていた。
この小魚は、体長10cm程の大きさで、鱗は固く鋭く、素手では触れない。
彦さん、器用に鱗を削ぎ落とし、から揚げの下ごしらえまでしてくれた。
沖縄では 「ミジュン」 と言っている魚である。
から揚げの 「ミジュン」 は白身で味が濃く さすがに美味かった・・・・・・
彦さん やはり 只者ではない。

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# by inagaki_sokuryou | 2009-05-11 14:14 | 先代のひとりごと  

沖縄の寅さん

私は、彼を彦さんと呼んでいる。
彦さんは、もちろん独身である。
彼は、幼い頃、蚊が媒介する病気に掛かったり、少年の頃には癲癇持ちでもあった。
そんな為か、学業は儘ならなかった様である。
少年期は身体も大きく乱暴者であったようであるが、突然倒れけいれんを起こし、
同級生を驚かせたり、心配させたりもした。
彦さんの名誉のために書き添えるが、戦後の薬が手に入らない民間療法に頼らざる
得ない、ほんの一時期の話であり、現在はそんなことは無く、健康体そのものである。
私が、妻の故郷として沖縄を訪れたのは、25歳の時である。
日本に返還される前の昭和41年、まだドルが使用されていた時代である。
妻の実家は、築後10年以上は経っていると思われる木造の平家建であったが、
当時、村内では珍しい造りで、畳や障子があり中廊下付の内地風の家屋であり、
土間には、父親手作りの木製テーブル、木製長椅子さえ設えて有った。
建築当初は、近隣から見物人が結構有ったと言う。
トイレは、母屋から離れた場所にあり、夜中の使用は、少々心細かった記憶がある。
又、離れ屋にかまどと風呂が有り、風呂は、ナント 五右衛門風呂で有った。
木蓋を沈め底とし、その上に釜の周囲に触らぬよう身体を丸め、
窮屈な姿勢で風呂に浸かった思い出がある。
五右衛門風呂は、話には聞いていたが、沖縄で経験するとは・・・
父親は何処で手に入れたのか?
驚きであった・・・・
妻の父親は、私が言うのはどうかと思うが、男前で有った。
村芝居では、女役がよう似合ったと耳にする。
妻も、父は真夏でも白い背広に身を包み、
白のパナマ帽をかぶって、夕方出かけるのを、よく見かけたと言う。
戦後間もなくは米作りしていたが、その後は時代に沿った商売を展開した事業家で有ったので、
びしっと決めた姿で、会合の場に向かったのであろう。
そんな父は、他人と同じ様にするのは良しとせず、
新し物好きで、話題作りを楽しんだようである。
五右衛門風呂もその一つであろう・・・・
話は戻るが、
沖縄の愛すべき彦さんは、標準語は余り話さない。
沖縄行きの当初の頃は、私と彦さんの挨拶は、
「 貞夫君、元気だったかね、いつ来たか 」である。
周りの者がその挨拶を聞いて、笑いながら話題にする・・・
「 あの ヒコーが標準語で話してるさー 」
彦さんは、私に気を使って、挨拶をしてくれているのである。
彦さんは、柴又の寅さんと違い、村内からめったに出ない。
国際免許?で、軽トラックでサッソーと現れる。
朝は、村内野外スピーカーから流れる沖縄三線の音色に乗って、軽トラで颯爽とお出ましだ。
オリオンビールの缶や泡盛のびんを集めにくるのである。
服装は、米軍の野戦用ズボンやシャツだ。
沖縄の強い日差しと彦さんの汗で、白茶けたいい色が出てる・・・・・
柴又の寅さんが呼びかける、労働者諸君とは、ちょっと違う・・・ 力強さがある。
顔は、赤ら顔、沖縄独特の厚ぼったい瞼に、大きなどんぐり眼というところか?
ヤーと笑う顔は、なんとも親しみを感じる。
私は、最近では実家に到着早々、彦さんのうしろ姿を見つけると、そっと近づき、
ぐっと肩をつかみ、驚かせる、彦さん、ギクッとふりかえり、ニヤと笑いながら
 「 サダオ イツキター 」
沖縄なまりで、問いかける。
固く手をにぎり、再会を喜び合うのである。こんな我々を、周囲は奇異の目で見ている。
私を、不思議な男と思っているようである。
法事の時など、彦さんはいつも末席の方に、一人で座り、もくもくと食事を取っている。
決して、周りから無視されているのでは無い、時々誰かが 「ヒコー おかわりは」
ヒコーの呼び方も、やさしい響きだ、みんな優しく受け入れている。
その度に、彦さんニヤと首をふる。
私は、そんな時、上席に誰が居ようが、先ずは彦さんの隣に座り、” どう 稼いでる ”
 彼のしゃくどう色の腕にある、金色の分厚い時計に目をやり、
” いい時計しているじゃん ” 問いかける。 
 彦さん言う 言う・・・・
” ナアーに やすもの ヨー  2、30万 ヨ アハハ・・・・・ ”

私は、そんな会話を楽しんでから、座るべき場所へと移動するのが常である。
だから余計に 周囲は不思議な顔をする。
そんな私を、先日他界した義兄は、暖かい目で私を見、目で私を招き、そこへと指差し
私の座る場所を教えるのである。
私は、彦さんと、余り変わらない人間と、自分を思っている。
社会的地位とか、経済的な豊かさは、私の価値観の中では、余り重きを成さない。
有れば、無いよりは良い程度のことである。
彦さんは、多分精神的に自由人であり、沖縄という恵まれた自然の中で、そこに仕事が有ったり、
与えられたりすれば、自分の肉体の限界を超えない範囲で働き、何がしかの金銭を得る。
ある物を食し、夜は良く眠り、朝は早起きする。
  
彦さん  その日ぐらしと思いきや どっこい  彦さん実は金持ちだ。
胴巻きならぬ、ビッショリ汗をかくズボンのうしろポケットに、分厚い財布を隠し持っている。
ある時、彦さんの妹( さくらならぬ 村役場勤務のチュラカーギー )が心配し銀行に預けたが、 
彦さん、すぐにお金を下ろすよう命じたという。
彦さんは、汗まみれに稼いだ金は、自分で持っていたいのである。
貯めた紙幣は、汗を滲みこみ塩を吹こうが、自分の身体にへばりついていなくては
意味が無いのであろう・・・・
そんな彦さんのお金を、頼りにするお仲間さんもいるのである。
彦さん、ある時は海人、ある時はマンゴー栽培、ある時は軽トラ持参の行事の運搬係、
「 ヒコー  これを何処そこへ 」 彦さん 今日も もくもくと働く・・・・・


又、次回へ















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# by inagaki_sokuryou | 2009-04-23 19:39 | 先代のひとりごと  

” 芝と苔が共生する庭 ”


4月初旬、測量の仕事でお邪魔をしたお宅の庭には、心惹かれました。
朝の陽射しを燦燦と受けた40坪程の庭には、苔類(ハイゴケ?スギゴケ?)が一面に主役を成し、
所々の定位置に、草花の芽が自分の場所とばかりに出始めている。
主役を明け渡すまでの一時の輝きを、苔類達は謳歌しているようであった。
玄関先を通り、南側の濡れ縁の前に出ると、芝生が植えられ飛び石が庭を案内するかのように、
庭の中程まで設えてある。
飛び石の間隔もほど良く、高さも心地よく歩を進められる。
庭の中程はまさに苔類、芝生からどこで苔にかわったのか?
視界を妨げないほど良い位置に、柿の木が一本、冬枯れの季節に残された実が
ひよどり達を喜ばせそうに、樹形を見せている。
柿の木は子供の頃を思い出させる、懐かしい木である。
測量作業も草花の芽や山野草と思われる芽を傷めぬ様、慎重に進め、機械点を御自宅を
回るよう選点し、北側の角に測量機を設置している際、足元にシュンラン(春欄)を目にする。
こんな場所にも、人知れず咲く(山里では無いのでこの表現は適切では無いが)シュンランが・・・
地味な山野草であるが、うつむき加減に咲く花は風情がある。
私の自宅の庭は、三坪程、こちらの庭とは比較にならないが、
娘は英国風に、子供が遊べるように、・・・・とか、妻は日当たりの良いのはここ、
何を植えたいとか・・・・・、私は山野草を中心に・・・・、そんな庭は無理とはわかっていても、
言って楽しみながら、 それなりにまとめている。
こちらのお宅の様な庭だったら、この辺に何・・・・・ここは何と・・・・ 
こちらのご夫妻が造られたように、私達夫婦も同じように造っていたかもしれない。
そんな風に考えていたら、心楽しく、本当に良い庭だと、思うことしきり・・・・・
沖縄好きの自分にとって、こちらの庭は、もう一つ気に入っていることがある。
隣地境界塀の手前2m程離れた、南側濡れ縁から真正面の位置に、
身の丈ほどの庭木が何本か行儀よく並んで植えられ、屏風状に造られていたことである。
多分、目線から塀を隠したものと思われるが、
私には、沖縄の「ひんぷん」を連想させたからである。
沖縄の屋敷は玄関を南側に設けるのが通例であり、「ひんぷん」とは、
屋敷の正門と母屋との間に設けられた屏風状の塀のことで、外からの目隠しや、
悪霊を防ぐものと言われています。この塀を樹木で作ることもあります。
訪問者は、正門から「ひんぷん」の左右どちらかを回り、庭先へ出て、
玄関へと訪問するのである。
「ひんぷん」を連想させた、こちらの樹木塀と境界塀との間にも、日陰を好む山野草が
ご夫妻の目を楽しませているのかもしれない。
広大な屋敷の高木の下の苔庭や、寺院の苔庭も美しいが、
こちらのお宅の庭は、草花等を愛しむご夫妻の人柄を見事に映し出しており、
いつまでも心に残る庭であった。
心温まる出会いに、今日も感謝である。
測量作業を完了帰る際には、白髪の似合う穏やかなご主人とにこやかに傍に立たれる
奥様に深々と頭を下げた私である。




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# by inagaki_sokuryou | 2009-04-16 08:56 | 先代のひとりごと  

” ムベ ”


先日、山野草を多く扱う近くの園芸店で、「ムベ」 に出会い購入しました。
過去、アケビは自宅の垣根に這わせ、実を採った経験は有りますが、
「ムベ」という名札に出会い、「むべなるかな」 そんな言葉が頭に浮かび、
興味を持ちました。
つるの具合や葉がアケビに似ており、名札の説明にもアケビ科とある。
実もアケビの実そっくりであるという。
違う点は、アケビは実が割れ、むべは実が割れないとあり、
赤紫色の実は食用に出来るとのこと。
早速購入、庭先に植えたところ無事に根付き、
現在新たな、つる芽を伸ばし始めている。
 楽しみだ 夏にはつるが絡まり白い花を咲かせるだろうか、授粉をして是非
実を採りたいものだ。
「ムベ」の語源を調べたところ、やはり「むべなるかな」でありました。
琵琶湖のほとりに位置する北津田町に古い伝説が残っているそうです。
その伝説
今から1341年前頃(飛鳥時代)、天智天皇が蒲生野に狩りに出かけ、その地で
8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会い。
「汝ら如何にかく長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が、
無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。
賞味した天皇は「むべなるかな」(いかにももっともなことであるなあ)と得心して
「かくの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。

その時からこの果実を「ムベ」と呼ぶようになったとのことである。

偶然にも「ムベ」という植物に出会い「むべなるかな」とつぶやいた自分
この歳まで生きて、今さら長寿を願う訳では無いが、
赤紫色の果実を、すずなりにして長寿を願う人達に提供出来たらと、
今朝もこの庭先にたたずむ。

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# by inagaki_sokuryou | 2009-04-01 15:25 | 先代のひとりごと